毒親と。

毒親に対して何もできない私の吐き溜め。

ご挨拶と登場人物 // 毒親の生態まとめ

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私と認知の歪み。

毒親について考えてきたけれど、毒親をなんとかしようと思うことは確実に無理だ。特に母はパニック障害を患った過去があり、下手に刺激すると再発に繋がりそうなので刺激はしないよう努めている。母が1人なら勝手にしろと言えるが祖母もいるので、ここで再発されると私は確実に物理的距離も近くならざるを得ない。そこで私は全てを諦めて「自分が我慢すればそれでいい、母の言うことを聞いていればいいのだ」と思っていた。
 
 
まだ現役でアイドルにお金を突っ込んで生きていたいアイドル依存症の私はなんだかんだで生きづらさを感じていた。
 
普段はあまり気にしていないが、なんだか人付き合いが苦手になるタイミングが突然やってくる。特に苦手なのが「行動がゆっくりな人」「理解力が乏しい人」だ。本当にイライライする。これに関しては自分がせっかちなだけだと思っていた。
ついでに言うと「マウンティングを取ってくる人」「手の平を返したように疎遠になる人」も苦手だ。
 
 
人付き合いもそうだが、親が毒針を指してきている時の自分のなんともいえない虚無を感じること、罪悪感が募って仕方がないこと、自分って本当に生きている価値があるのか?を延々と考えていることが疲れていた。
 
たまたま「生きている価値とか考えるじゃないですか」と上司に言った時に「そんなこと考えないよ?」と返されて自分がズレていることに気付いたのだ。私はメールに添付を忘れただけで生きてる価値なんてないと思う程、ドン底まで落ちることが多々あるのだが。
 
 
 
もしかしなくても、周りがあっけらかんとしているバカの集団ではなく「私がおかしい」のではないか!?
 
 
 
ようやく気付いたゆーさん、この時25歳。そこからなぜか飛躍して「自分とは違う生き物だから分かり合えなくて当然」という考えを持って生きていくことができるようになった。少しだけ成長した!トロくてバカな新卒に対しても少しだけ優しくなれるようになった!褒めて!!といつも思いながら今日もニコニコしていたのだが、私はそれでもなんだか生きづらさを感じていた。
 
対人関係がちょっと良くなっても結局は自分が我慢している部分が多く、ちょっとしたことでドン底にまで落ち込むという1番なんとかしたい部分が残っていた。
 
 
 
で、ちょと調べてみたらうわぁ…(笑)となった。そう。
 
認知の歪み
 
 
完全なる私。私の性格を表している。メモついでに記載。
 
 
 
  1. 全か無か思考
  2. 一般化のしすぎ
  3. 心のフィルター
  4. マイナス化思考(プラスの否定)
  5. 結論への飛躍
  6. 拡大解釈(破滅化)と過小評価
  7. 感情的決め付け
  8. すべき思考
  9. レッテル貼り
  10. 個人化(責任転嫁)
 
そしてついでにこちらでチェックをしてみた。

 

cbt-c.info

 

結果は1、2、3、5、7、8、9、10に当てはまった。そんな自分にまた少し落ち込んだ。
 
これでも昔に比べたら大分マシになっていると自分では思っているので、昔の私を知ってる人に申し訳なくなった。
 
 
 
ついでに言うと自分で非定型うつを疑っている。夜、急にとんでもなく孤独感を感じて「生きる意味」について考えて最終的には好きなアイドルのDVDを見て号泣しながら寝る。ここは我ながらハッピーだと思うが、翌朝にまで抑うつ状態を引きずる時がたまにあるのだ。そうなると笑っていられなくて一気に暗くなって自分は何をしているのだろうと余計に暗くなる。
 
 
 
まあこの話はまた別なのだろうけれど、根本に認知の歪みが存在する点は同じのようだ。そうか。この認知の歪みを自分でどうやって正せばいいのかはまだ謎なのだが、とりあえず気が向けば自分の気持ちをノートに書き留めようと思う。
 
 
 
1 「状況」(嫌なこと)
2 「自動思考」(その時浮かんだ感情)
3 「合理思考」(自分でなく友人ならどうアドバイスするか)
 
この3点を書いた方がいいみたいだが、そんなことを始めたら完璧にしないといけない!と思って余計にストレスが溜まる気がするのでやめておこうと思う。だいたい嫌な気分になった出来事を思い出したら寝る前にクヨクヨする。ちなみに褒め日記は過去に1週間で終了した。
 
 
 
ちなみに、私の記入漏れについて「これ記入ないんですけど大丈夫なんですかね?」って聞いてくる後輩は滅してほしい。「漏れてますよ」で良くない?と思っているけれどコレも認知の歪みなのだろうか。歪みだろうな。