毒親と。

毒親に対して何もできない私の吐き溜め。

ご挨拶と登場人物 // 毒親の生態まとめ

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毒親と高校時代~最近まで。

さて、私は高校生になると同時に都内にやってきた。

 
高校は渋谷。バイト先は新宿。高校3年間の思い出はなぜかあまりないのだが、この頃にはウィルコム毒親も持って長電話をしていた記憶はある当時は毎日電話をしないといけないという毒親ではなかったはずだ
 
と、いうことでここからは早送りで毒親エピソードを語りたい。
 
 
高校生の時はそこまで毒親ではなかった。
 
大学生の時に20時に連絡が取れないと警察沙汰にされたが私は映画を観ていた。なぜ連絡しないのだと怒られて「大学生にもなってここまで私の予定を話さないといけないのか?」と悩んだ。当時、同い年の彼氏が家に上がりこんでいたが電話が出来ないことに毒親はイライラしていたらしい。知らんがな。大学生の頃が1番アイドルに狂っていたが毒親は2番さんにたいして興味を持たなかったので「好きな意味がわからない」と言われ続けてきた。
 
 
社会人になって新しい彼氏ができ、休みの日は彼氏と一緒にいたが案の定電話が出来なくてイライラしていたらしい。毎朝メールは絶対にしていたし、そこまでか?と思っていた。この彼氏には私の幼少の頃のアルバムを見せて「この頃なんか知らないよね~ごめんね、知らない話して!」と謎のマウンティングを見せた。
 
社会人にもなって通帳は返って来ないしそれを見て「将来が心配」と連絡を寄越す頻度が上がった。仕方ないだろう、大学生の頃より収入が少ないんだよ!と思っていた。
 
 
 
父が亡くなったのは社会人3年目の夏だ。社会人2年目の終わり頃から父は認知症となり、母も働きながら面倒を見ることが辛くなっていた。死にたいと連絡も来るようになったし、父に早くラクになって欲しいとも言っていた。
 
毒親に育てられていて、のらりくらりと生きていたがここで毒親の猛毒を私は全身で喰らったし、今までの毒親の子育ての成果を私はここで発揮した。「お母さんが大変な時に私だけ楽しい思いをしているなんて辛い、申し訳ない。」そう言って私は彼氏と別れた。
 
 
社会人3年目になって父は施設に入ったり入院したりとしていて私も何度も実家に帰った。私は大好きな父が壊れていく姿、痩せ細った姿を見て泣きたかったが毒親は良く泣いたので我慢していた。この頃は毒母と支え合うように連絡を取っていたと思う。
 
 
そして夏。父は旅立った。帰ってこいと言われてから私が病院に着くまで結構な時間があったが父は待っていてくれた。最後に反応を見せたのが毒親の「愛してるよ」と言う言葉に力強く手を握ったことという点だけは嫉妬しているけど!!!
 
 
 
ちなみに私はまだ父の死を完全に受け入れられていないので色々と割愛。ただ、これをきっかけに毒親は私にベッタリになっている。私も毒親に寂しい思いをさせてはいけないと思ったから本当に毎日電話をするように頑張ったけれど、それが間違いだったなと今では思う。私の時間がとにかくない。
 
休みの予定は言わないといけないし、2日連続で電話が出来ないとなるとフォローも大変だ。よくこれで嘘をついてほいほいライブ行ってるなぁとつくづく思う。夏~秋にかけて必死に働いて必死にアイドル追っかけ業に専念したいのだが、100%これは毒親に言わないと電話をどう説明していいか分からないのでそこは頭を抱えている。
 
 
毒親は最近、私への嫉妬が酷いのでいつか私が爆発するのではないかと思っている。なぜかやたらと色んなミュージカルなどを観劇して「いいな~」と私に言わせたがる。まあそのチケット誰のお陰で取れてると思ってんの?私が買わなかったら行けないんだよ?ん?と内心思っていることは内緒。
 

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