毒親と。

毒親に対して何もできない私の吐き溜め。

ご挨拶と登場人物 // 毒親の生態まとめ

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私と緊急会議。

梅雨らしい雨に頭がゴンゴン鳴っている私です。ゆーさんです。

 
早く来月のライブ行きたい。リアコさんに会いたい。3番さんに会いたい。チケットまだないけど。
 
 
 
昨日、充電コードに挿していたWILLCOMが充電されていなくて、充電しながらの電話は無理だな~と思って10分も話さず毒親との通話を終わらせたが最終的に「充電くらい見ろよ」と言われてキレそうだった。あんたが前日に「また明日」って言ったからどこにも行かずに帰ってきたぞ?充電だってコードには挿してたわ。何にも知らないくせになんなんだ。だいたいライン通話覚えろよ。
 
祖母が病気かもとか言われて不安ならそう言えばいい。私は何もしてやらないけどな!!
 
 
 
 
そんな私ですが、昨日は職場で緊急会議が開かれた。
 
上司は開口一番「B(仮)がやばい」と言い出したがB(仮)がやばいヤツなことくらい私は何回も行ったしB(仮)との付き合い方も何度も提案したが無視していたのはお前だろ?と内心思っていた。
 
 
とりあえずB(仮)のストレス耐性がないこと、今のシステムの変動に不安とプレッシャーを感じているとのことだったが多分この前私がブチ切れたことが原因なんだろうな。結構ガツガツ言ったもん。時間考えろとか次の仕事考えたら仕事中寝てられないだろとか(よくウトウトしている)説明されてる時に理解する努力をしてほしいし分からなかったら聞けとか自分の仕事くらい完璧にする努力してとか。最終的にはB(仮)に出来るだけ急ぎの仕事が行かないように私達が配慮してることも分かって欲しいって言っちゃったんだよなぁ。
 
 
自分のせいで~とか悩む人種だろうからそれが原因だろうとは思うが、だったら自分の仕事を「頑張って」ほしかったし、完璧にできる仕事を探してほしかった。それも無理だと言うことが分かったし自分が負けず嫌いで「やってやろう」と思うことも相当頭のおかしい考え方だと言うことが分かったので良しとしよう。
 
 
正直、悩んで行動したことが上司に「辛い」と言うことだったことはショックだったよ。残業だって1ヶ月に2時間もさせてないし内容で考えたら2種類しか大きな仕事は渡していない。
 
アスペルガーってことを理解した上で仕事の説明はしているつもりだったが、仕事に期限があることは仕方ない。それがプレッシャーと言われたら私はどうしていいのかもうわからない。
 
 
 
 
個人的にはB(仮)の仕事内容とか仕事をどう与えて行くかを考えて行きたかったのだが、上司はそんな話をするわけもなく「とりあえず優しくして」で終わった。
 
なんのための会議だよ
 
優しくしても不安とプレッシャーは拭えないじゃん。これからも何度もこういうことになるのならB(仮)の仕事内容とかもっと見てあげるべきじゃん……あ、もしかしてこれも認知の歪みからきてる??
 
 
まあうちの上司は会議室から出るときにいきなり入り口で靴を脱いで飛び降りの「真似」をした。「こうならなくて良かったよねー!」とか言い出したし私と違う意味で頭のネジを飛ばしている人なので話し合うとか理解し合うとかそういうのは出来ないと思う。
 
大事な話から逃げる人種って言うの?そういう人だし鬱は甘え~って言っちゃう人だから期待は出来ないんだよな。
 
 
なんで私の周りって「普通」な人がいないんだろうって思うけどだいたい普通ってなんだしって笑ったから私って本当に頭のネジ3本くらいぶっ飛ばしてる。
 
ネジを締めてたら現実見て病んじゃうの。金遣いの荒さとかなんでリアコさんに会えないの?とか3番さん仕事するタイミング考えて?とかさーーーー!!!!私はいつまで東京にいられるのかも分からないし、毒親が私の金を期待していることも鬱陶しいし、そういうことも今は考えたくない。考えたら消えたくなるから。
 
 
ああ、リアコさんと3番さんに挟まれて消えてしまいたい。
 
 

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毒親と祖母と私。

なんだかお久しぶりです、ゆーさんです。

 
前回の記事の更新の後、1万円のカーディガンを買いました、ゆーさんです。
 
 
更新したいことは多々あるのに、更新する心の余裕がない自分に驚いていた。家が本当に帰宅!風呂!寝る!起きる!準備!出勤!のルーティンをこなすためだけの場所なのだが、もう少し家でゆっくりする時間が欲しくなったりもする。その前にまず掃除したい。
 
 
 
ちなみに毒親と私、親子揃って片付けが苦手。ゴミ出しはまだちゃんとするから汚部屋とか臭いとかはないけれど、私はとにかく物が多いから散らかるタイプ。
 
洋服も靴もカバンもすぐ買うくせに、「これはいつ買ってもらった」「これはいつ着たから」「これメ○カリ出せるんじゃない?」とか考えていたらそのままだ。
 
 
服に関しては5,000円以下の物は1シーズン着なかったものは捨てることにしているけれど、やはりブランドの服は捨てにくい。メ○カリだすのもめんどくさい。嫌でもアイドルの写真とかグッズとか色々増えるのにね。
 
 
 
 
最近の毒親様は同居している祖母にきつく当たっているようで祖母が少し心配になる。まあ祖母本人も頑固でコレと決めたら絶対曲げないしかまってちゃんだし、同居したら私もウルサイな~と思いそうな人だけど。
 
 
トイレの水が止まらなくなって水道屋に電話した祖母に激怒した毒親の話に衝撃だった。大家さんに言えばええのにって言ってたけど大家じゃなくない?え?と思って戸惑った。
 
自分は業者さんとかと世間話をして盛り上がった話をしてくるくせに、祖母が水道屋に同じことをしたら「いらんこと話さんでええねん!」と怒鳴ったらしい。それをドヤりながら言ってくるから正直引いた。水道屋の前で怒鳴ったらしいが、それ虐待に見えてると思うんや。
 
 
 
ただ、祖母と毒親の関係も毒のある関係だと私は思っている。
 
毒親が産まれる前に祖父は蒸発し、祖母は平気で「産まれてこんかったら良かったのに」と毒親に言っていたらしい。食事も姉と兄を優遇し末っ子の毒親は質素に過ごしたそうだ。
 
 
そんな毒親の姉は祖父っ子だったらしく私と同じく15歳でさっさと家を出ていたし、毒牙から逃げたのだろうなぁと思っている。「絶対老後の面倒みないから」と言っているあたりは強い。
 
毒親の兄夫妻は祖母と暮らしていたらしいが祖母と奥さんの性格が合わずに祖母が追い出された。
 
 
兄弟2人から見放された祖母を引き取れと言ったのは私の父だ。
 
だからこそ祖母には父に感謝して欲しかったが、通夜にも葬儀にも出なかったし家で法要をしても部屋から出てこないから毒親の怒りが溜まっているのだと思う。
 
 
 
この親にしてこの子あり、と言わんばかりの祖母と毒親
 
祖母と毒親はパターンが違うのかもしれないけれど、同じ毒持ちであることは確かだと思っている。
 
 
 
 
さて、今日は職場のAさん(仮)がルンルンでランチに誘ってきたが1人になりたいのでお断りさせていただいた。
 
休みなく働いていると自分の時間を作り出すことに必死にならないとストレスで潰されそうになるからな。ストレスでアイドルを見られなかったら元も子もないので私は自分のケアを怠りたくない。
 
Aさん(仮)と飯食っても美味しくないんだもん…
 
 

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私と首輪。

父の夢を見た。

 
仕事に行く父の背中を見送った夢だった。
 
 
仕事をしていて思い出して、「ああ、あの背中は父だ」と思ったくらいぼんやりしたものだった。でも未だに父の死を受け入れられていない自分に笑うしか無かった。
 
 
 
 
そんな私は「首輪」をしている。毒親からハタチの誕生日にもらったネックレスだ。
 
別に絶対していなければならない物ではないけれど、なんとなく今まで絶対に外せなかった。ちなみに、母が知り合いのバー経営者に貰ってドレッサーに眠っていたものだったらしく、母の誕生石のルビーだ。
 
 
私は客と会話を楽しむ店にいるのだが、アクセサリー関係は客の目につくようで色々と突っ込まれる。面倒になった私はネックレスは外すことにした。
 
終電まで出勤してから、翌朝10時から出勤などストイックに予定をつめている私は付け外しが面倒なので連勤の時は外したままにすることにしたのだが、ここで衝撃だった。
 
 
ネックレスないとめっちゃ開放感あるやんけ…
 
 
これで私は首輪と認識してしまったのだが、無いと無いで落ち着かないし、今度は会社の人に突っ込まれることが発覚した。しかも私、外していると無くしそう、絡ませそう。ああ、面倒くさい。
 
結局は出勤以外はネックレスをしている自分も面倒くさい。
 
 
 
 
ちなみに私、昨日3番さんとの再会にむけての名古屋行きを素直に伝えた。ちょっとFXに興味があるので、FXをしていると言った。しかも架空のお友達の設定を少し付け加えてまで説明したので自分の中で忘れないようにしないといけない。
 
まぁ、まだFXはしていないけれど、7月に毒親に会うまでにFXを実際に開始しておけば画面を見せることも可能なので今はそっちに向けて少し動いている。
 
 
騙されて可哀想な毒親。と思いながらも毒親が言った「私達の仲の良さって異常じゃない?」に驚いた。
 
 
異常ってわかってたんだ!!!
 
 
仲良しだと思っている点は相変わらず可哀想な人だと思う。この人に苛立たしく思わず、のらりくらりと交わすことができれば私も少しはまともになれるのだろうか。
 
毒牙にかかった身はなんとかしないといけないと思いつつ、なかなか思い通りに動かなくて余計にがんじがらめになってしまう。
 
 
自由、とは?
 
 

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毒親と昨日の電話。

毒親に腹立たしいことが増えてどうしていいか分からない日々ですが、皆様いかがお過ごしですか?

 
 
ミュージカルなどなどを観たい毒親のために劇場の会員になることが多いけれど、登録メールとか届くことを嫌がるのでもちろん私の名前で登録している。ものによっては他サイトの情報を使って登録できるからラクなのだけれど、クレカ情報を編集できないサイトもある。
 
 
だいたいコレが観たいと言われて、その劇場のメルマガを毎回じっくり読んで毒親の観たいミュージカルの先行抽選に申し込む。ぶっちゃけ、私次第なのでメンドクセと思ったら申し込まなければいいのだけれど、基本的に毎日電話をして毎日言われるので申込開始日にまた言えと言っておく。
 
 
 
そして昨日、朝6時に毒母からメールが来ていた。「○月○日○時公演の申込をお願いします。」
 
終電まで働いて4時間半の睡眠で体にムチ打って稼ぎに行っていることは毒母には言っていないが、流石に休みの日に起きてこのメールが来ていたら誰だって嫌だと思う。
 
イラっとしてメールを閉じて出勤していたら、9時に「起きた?」とメールが来てイラっとMAXになった。大体申込、11時からなんですけど~?先行じゃないんですけど~?前から言ってるよね~???つーか休日で9時に起きるわけなくな~~~~~い?と言う苛立ちと睡眠不足の中、なんで毒親のために休日を使わないといけないのかが理解できず、「11時からなんで二度寝していいですか?」と返した。
 
 
毒親が休みだということで出勤中もメールとか電話が来ることを恐れながら働いていたら、案の定メールが来ていた。なんで毒親のために休日を使わないといけないのかやっぱり理解できない。いや、この苛立ちも必要経費、面倒くさいことにならないための必要経費…と思ってもやっぱり腹が立つことは事実。
 
毒親育ちの方は毒親に苛立ったとき、どう自分の気持ちに折り合いをつけているのか不思議だ。
 
 
 
のらりくらりと休日の昼間に無駄な連絡は取らないように努め、夜に電話をした。この人本当に私の話を聞いていないからもう売り切れでしょ?いいよ、とか言い出すし「抽選!!!」とちょっと強めに言ってしまったが「それならやって~」とコロっと変わるから毒親は流石だった。
 
 
クレカ問題が出てしまったので外れて構わない。この状況で当たると金を払って貰えない流れがデフォだ。くそう。私は3番さんとのはっぴ~さま~、リアコさんとのはっぴ~さま~&お~たむがやってくるから金が必要なんだぞ!!!
 
 
 
とりあえず下手に刺激しないように毒親と会話をしたが毒親は変な所でバカアピールをしてくるし、だいたい私の話で興味が無いことは理解しようとしないクセに変な解釈をして決め付けて、話を長引かせて私をイライラさせる。
 
 
私:3番さんが高校の同級生とのホームパーティーの写真が流出してんけどホームパーティーとか可愛くない?
毒:3番さんっていくつ?
私:○歳
毒:今、高校行ってるん?バカやったんや~
私:高校の同級生って言っただけでなんで今通ってることになってんの
毒:同級生なんやろ?あんたの言うこと意味わからんわ
 
 
この流れ!本当に!嫌だった!!!!興味がないのは構わないけれど変なことを言って苛立たせないでほしい!!!!お前は学生時代の同級生と会わないのか!???!?
 
ってゆーか私の説明不足なのだろうか?と悩むけれど私はそこまで深く掘り進めるつもりもなかった話題なので適当にウン、ウンって言っておいてくれればよかったわけで、私ももういいわと言ってこの話はやめた。
 
 
 
昨日の電話では毒親の勤め先に新人が来た話をされた。その人への教育方針が他の人と違って辛い、と言われたが他の人の方が私もいいと思うから大変だね~としか言わなかった。悪いが毒親の話を聞く限り私が経営者だったら毒母を切ると思う。そこでも奴は毒なので勤め先の人に申し訳ない。
 
 
 
私も私で認知が歪んでいるので誰にも強くは言えない。
 
ただ、競馬で負けてウダウダしている人には言いたい。1万くらい負けたくらいでウダウダ言うな。趣味には金がかかるのだ。
 

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毒親と高校時代~最近まで。

さて、私は高校生になると同時に都内にやってきた。

 
高校は渋谷。バイト先は新宿。高校3年間の思い出はなぜかあまりないのだが、この頃にはウィルコム毒親も持って長電話をしていた記憶はある当時は毎日電話をしないといけないという毒親ではなかったはずだ
 
と、いうことでここからは早送りで毒親エピソードを語りたい。
 
 
高校生の時はそこまで毒親ではなかった。
 
大学生の時に20時に連絡が取れないと警察沙汰にされたが私は映画を観ていた。なぜ連絡しないのだと怒られて「大学生にもなってここまで私の予定を話さないといけないのか?」と悩んだ。当時、同い年の彼氏が家に上がりこんでいたが電話が出来ないことに毒親はイライラしていたらしい。知らんがな。大学生の頃が1番アイドルに狂っていたが毒親は2番さんにたいして興味を持たなかったので「好きな意味がわからない」と言われ続けてきた。
 
 
社会人になって新しい彼氏ができ、休みの日は彼氏と一緒にいたが案の定電話が出来なくてイライラしていたらしい。毎朝メールは絶対にしていたし、そこまでか?と思っていた。この彼氏には私の幼少の頃のアルバムを見せて「この頃なんか知らないよね~ごめんね、知らない話して!」と謎のマウンティングを見せた。
 
社会人にもなって通帳は返って来ないしそれを見て「将来が心配」と連絡を寄越す頻度が上がった。仕方ないだろう、大学生の頃より収入が少ないんだよ!と思っていた。
 
 
 
父が亡くなったのは社会人3年目の夏だ。社会人2年目の終わり頃から父は認知症となり、母も働きながら面倒を見ることが辛くなっていた。死にたいと連絡も来るようになったし、父に早くラクになって欲しいとも言っていた。
 
毒親に育てられていて、のらりくらりと生きていたがここで毒親の猛毒を私は全身で喰らったし、今までの毒親の子育ての成果を私はここで発揮した。「お母さんが大変な時に私だけ楽しい思いをしているなんて辛い、申し訳ない。」そう言って私は彼氏と別れた。
 
 
社会人3年目になって父は施設に入ったり入院したりとしていて私も何度も実家に帰った。私は大好きな父が壊れていく姿、痩せ細った姿を見て泣きたかったが毒親は良く泣いたので我慢していた。この頃は毒母と支え合うように連絡を取っていたと思う。
 
 
そして夏。父は旅立った。帰ってこいと言われてから私が病院に着くまで結構な時間があったが父は待っていてくれた。最後に反応を見せたのが毒親の「愛してるよ」と言う言葉に力強く手を握ったことという点だけは嫉妬しているけど!!!
 
 
 
ちなみに私はまだ父の死を完全に受け入れられていないので色々と割愛。ただ、これをきっかけに毒親は私にベッタリになっている。私も毒親に寂しい思いをさせてはいけないと思ったから本当に毎日電話をするように頑張ったけれど、それが間違いだったなと今では思う。私の時間がとにかくない。
 
休みの予定は言わないといけないし、2日連続で電話が出来ないとなるとフォローも大変だ。よくこれで嘘をついてほいほいライブ行ってるなぁとつくづく思う。夏~秋にかけて必死に働いて必死にアイドル追っかけ業に専念したいのだが、100%これは毒親に言わないと電話をどう説明していいか分からないのでそこは頭を抱えている。
 
 
毒親は最近、私への嫉妬が酷いのでいつか私が爆発するのではないかと思っている。なぜかやたらと色んなミュージカルなどを観劇して「いいな~」と私に言わせたがる。まあそのチケット誰のお陰で取れてると思ってんの?私が買わなかったら行けないんだよ?ん?と内心思っていることは内緒。
 

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毒親と残業。

お疲れ様です。


我が部署にはおかしな暗黙の了解があって、社歴が1番下から退社しないといけない。そうすると私が退社可能でも下が残業となると私も残業することになる。


今の1番下の子が報告・連絡・相談がまるで出来ないし仕事が素晴らしく遅い。出来ると言って出来ないこともしばしば。(軽度の発達障害を疑っている)


私は毒親の素晴らしき愛と過去に患ったものが再発したら辞めることを伝えているけれど、暗黙の了解は下の子の残業申告時間までは守る。さすがに申告時間過ぎたら置いて帰る。

申告時間までは守るけど!

定時10分前に言うのはやめてくれないかな!!



1週間のスケジュールが変わったらまず本気で謝罪メールしないといけないし、私が悪いんですって言ってる内に本気で凹んでくる。

それで悶々としながら今後のスケジュールで調節できる日を探すしかないし、家で懐かしのウィルコムで通話したいけれど帰りの家までの道のりでスマホから電話も致し方ない。


最終的にそれがあった次の日は凹んで暗い1日を過ごす。



上司に言えるわけもなくて毒にやられて毎日ごめんなさいごめんなさいって毒親に言ってることに凹んで寝れなくて体調崩したから言ったんだけど。

やっぱり毒親のことは普通の家庭で育った人には理解できないこと。
上司にはそんなん親の電話切れよ、無視しろよ、って言われ続けていた。


普段へらっとしてる私も我慢の限界がきてある日突然、真顔で「毒親にそれは逆効果です。母との時間削られるならどんな手を使ってでも辞めさせられます。」って言ってしまってちょっとは理解してくれたんだろうけど、真意はわからない。



今日も申告時間の19時に下の子を置いてピュンっと退社してきたけれど、ここから毒親に何を言われるのかを考えると消えてしまいたくなる。

しかも毒親、今日は仕事が休みだったのにメールに気付かないという痛恨のミスを起こしてしまって既に拗ね気味なのだ…



は~~~自由になりて~~~


自由になる前に毒親が変わってくれたら最高なんだけど。無理だし。電車遅れてるし。凹む。

私と中学時代。

私は母の志望校に無事に合格して、その女子校へと入学した。可愛い制服に身を包み、毎日坂を登った。
この頃には立派にアイドルオタクになっていたが世の中には広まっていない人が好きだったから私はネットの世界にのめり込んだ。
 
懐かしい前略プロフィールとか、ブログとか、そこら辺の時代を生きながら私はのらりくらりと生きていたと思っていたが、帰宅したら母が寝ていた。
 
 
 
「お母さん死ぬかも」
 
今死んだら父の面倒誰が見るんだよ、そんな感想だった気がするが色々と検査をした結果、母はパニック障害との診断が降った。しかも原因が「今まで全力を注いできたことが突然なくなってしまったから」ときたから驚いた。私の受験が終わったからだった。
 
 
母は1人で電車に乗ることが出来なくなった。公共機関を使わない近所にしか行けず、私がいないと遠出が出来なくなった。(ちなみに今はほぼ回復して1人で新幹線に乗って東京に来ることもできる
 
 
 
この頃から「私がいないと母は何もできない」と思い始めたし、母も「娘がいないと何もできない」と思い始めたのだと思う。実際その頃はそうだったので仕方ないが数年の刷り込みで今でもお互いにそう思っているのが怖いところだ。
 
 
 
そんなタイミングで私の好きなアイドルが突然、爆発的に人気になった。私は嬉しかったが女子校はそんな簡単な世界じゃない。そのアイドルのライブに行ったことがある私は突然グループの輪から外れた。誰も話してくれなかった。部活ですら浮いた。
 
 
私は通っている女子校に対して色々と不信感が募っていたし、ネットで友達を作ることにも抵抗がなかったから学校で友達がいないからなんだ?と思っていた。それも女の子が気に食わなかったみたいだが。
 
 
 
当時は学校に携帯電話の持ち込みが禁止だったが、親のこともあって隠れて持っていた。ひょんなことからそれがバレて私は停部。毒親は私の通学や塾の時間に連絡が取れないことが不安だったらしく発作が出てしまうという悪循環。(その後は学校に許可を取って持っていたけど)
 
部活に復帰後、私の部は電車に乗る距離の他校と試合をすることになった。その日の貴重品回収、先輩たちは平然と財布と携帯電話を預けた。顧問の目の前で預けた
 
 
私はもう試合どころじゃなかった。携帯電話の所持がバレて1番怒ってきたのは顧問だったし、私が1番謝って、退部はしたくないと言ったのは顧問だった。なんで先輩はいいのに私はだめなの?意味ワカンネ!!!!!
 
 
 
まあ結局私はその出来事が引き金となって部活は辞めた。
 
と言うより、メニエール症候群になったので運動が出来なかった。有難く私は学校をサボりまくったし、学校に行っても授業をサボりまくった。大体そういう時期は厨二病を発症してる子がいるもので、保健室で手首に包帯を巻いた子たちと昼食を取っていた。
 
 
今、思い返せば自律神経失調症だったんじゃ?と思う症状なのだが、私が目眩で動けなくなった母が焦って発作を巻き起こしたので自力で耳鼻科に行ったし、もう過ぎたことなので気にしても仕方ない。
 
 
 
学校では厨二病の子たちと暗いオーラを出していたが、私は休みの日には化粧をして髪を巻いてギャルと呼ばれるような見た目を目指した。ギャル雑誌を読み漁って私も髪を染めたい、ネイルもしたいと渋谷に憧れた。その中でもメイクは大好きだった。
 
その雑誌に渋谷にあるファッションやメイクを学ぶことができる高校、専門学校が掲載されていた。私は高校は通っていた女子校を辞めて別の学校に行くことを決めていたし、高校でメイクの勉強ができる学校も色々と調べていたがこの学校は渋谷にしかなく、高校を卒業したらこの専門学校に行こうと思っていた。
 
 
そんなことを考えていた休日、全寮制の学校のテレビ番組を見ながら毒母がいきなり「あんたも寮入れば」と言い出した。
 
 
私はここでとんでもない俊敏力を見せつけて愛読しているギャル雑誌を出した。
 
 
 
ここの高校、学生寮(と言う名の学生マンション)から通学できるよ!!!!!!
 
 
 
そして両親が話し合って私は東京に出ることになった。まさか父が私を出してくれるとは思わなかったが、今ならわかる。父は毒母から逃してくれたこと。
 
父は夜な夜な母が私に強く当たることを止めるように話しをしていたことも、いい女子校に入ることをよく思っていなかったことも最近聞いた。そんな父だったから、私の背中を押して東京に出してくれたのだと思う。
 
 
本当に感謝しかない。愛してる父。もう伝えられないけれど。
 
 

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